測度0なブログ

数学、映画・本の感想・解釈 あくまで個人の見解です。

写像の心をつかめ

数学の写像という概念は様々な場面で登場するが数学にあまり慣れていないと中々つかみづらいかもしれない。今日はこれについてできるだけわかりやすく解説したいと思う。

 

まず、写像というものは2つの集合を関連付けるものだ。集合とはその名の通り何かしらの集まりでその中身は何でも良い。代表的なものは数を集めたもの、例えば1~10を集めたものも集合である。1~10までとけち臭いこと言わずに自然数全体でも良いし実数全体でも良い。集合の要素のことを元と呼ぶ。

例えば\textbf{N}自然数全体の集合とすると1,2,3...は\textbf{N}の元である。このことを1,2,3\in\textbf{N}と表す。

 

さて、集合A,Bがあった時(中身は何でも良い)この二つの集合を対応付けるfという操作を考える。例えばAを1~10までの奇数の集合、Bを偶数の集合としよう。つまり

                           A=\{1,3,5,7,9\},B=\{2,4,6,8,10\}

である。(このように集合の要素を書き出す時は{}をつける)この時AからBへの対応fを

a\in{A}に対して

                                f(a)=a+1

で定める。つまりAの元に1を足しているわけである。奇数に1を足したら偶数なのでa+1はBの元になっているわけだ。このようにしてfはAの元とBの元を対応付けていることがわかる。

またAを男性全体の集合、Bを女性全体の集合としよう。(このどちらにも属さないものもいるが…)結婚という操作fはAの元とBの元を対応付けている。

 

さて、集合と集合を対応させるイメージはついただろうか?写像とは先ほどの対応fに近い。しかし、まるっきり同じというわけではない。

対応を考える時、行き着く先の集合Bと元の集合Aがあるわけだが対応fが写像であるとはすべてのAの元に対してfが定義されていなければならないのである。

対応fが写像であるとは全てのAの元に対してBの元が一つ定まることである。

最初の例のfは写像である。なぜなら、Aの元に1を足したものは全てBの元になっているからである。しかし、Aの元に11が加わった途端にこれは写像ではなくなる。なぜなら12がBの元でなく11に対する対応が定義できないからである。逆にAの元に11が含まれておらずBの元に12を加えてもfは写像になる。なぜなら、きちんと全てのAの元に対してBの元が定まっているからである。このように行き着く先の集合ではAと対応していない元があっても構わないのである。

 

二つ目の例のfは写像だろうか?いや、違う。なぜなら結婚していない男に対してfは定義されていないからである。

何度も繰り返すがポイントはAの元全てにfが定義されていてAの元一つに対してBの元が対応することだ。

 

次回は写像の特別版の単射全射について話をする。