測度0なブログ

数学、映画・本の感想・解釈 あくまで個人の見解です。

嫌われる勇気〜貢献感を持つとは〜

嫌われる勇気…中々不思議な言葉だ。世の中を見渡しても自分から他人に嫌われたいという人間はよっぽどひねくれている者くらいだろう。そのためになぜわざわざ勇気なのか?一見会い交わることのない言葉たちのようだがなんとなく魅了されるというのが私の第一印象だ。

 

本の詳しい内容を記述するのは面倒なので省略するが自分らしく生きるには他人から嫌われることを恐れずに自己を貫く…超大雑把に言ってこんな内容だ。

他者からの軽蔑を恐れずに自分をさらけ出すのは分かる。自由でありたいならそれは当然の帰結と言えるだろう。

しかし、自分をさらけ出した後に具体的にどのように行動していくか、人生の目標として次のようなものが掲示される

 

「他者に対して貢献感を持つこと。それが自己の幸せにつながる」

 

この本の冒頭で若干ではあるもののソクラテスについて言及されているが、このように人生の大きな目標を1つ固定してしまった途端に我々はイデア論的構造を発見する。すなわち、その目標を達成するべき行動のみが善と規定され我々の自由は制限を受けてしまうのである。

やりたければやれば良いし誰も何も言わない。ただし、それだけが全てという訳ではないし本当に自分でやりたいことなのかよく考えろって話だ。

 

ここまでは一般論だが私個人の見解に関して言えば他人のためになる行動のみに私の行動を制限するつもりは毛頭ない。結果として他者貢献が生まれる順序関係の逆転は起きることもあるだろうが自分の人生は好きに使わせて貰うとしよう。

中々ひどいことを言っているようなので弁明しておくと他者への貢献感を優先する生き方も当然ありだ。愛する家族と一緒に幸せそうに暮らしている者達を私は何組も知っているしそこで貢献感を得る生き方も悪くないだろう。

あと、嫌われる勇気の人生をより良く生きるために思索する姿勢も素晴らしく人間関係のあり方は大変面白く参考になるのでおすすめだ。

それでは今日も良き一日を。